はじめまして・・・

 なまえ   根本 諭 (ねもと さとし) 
出身地 千葉県 南房総辺り

近所には有名な「千枚田」という田んぼがある
田舎でひっそり暮らしております。
生まれ 昭和48年 早生まれ
血液型 A型 今までは大雑把だったのに・・・
今はめっきり細かい性格が出てきてしまって・・・
HP上で注意していること HPの内容が、複雑にならないようにする事。
写真を多く取り入れて、楽しく読んでもらえるように工夫してます。

です。。。。


車に乗り始めたのは小学校か、中学校か忘れてしまった・・・ とにかく小さい頃だった。


親父がラジコン飛行機をやっており、その飛行場で滑走路の慣らし
(飛行場の舗装に車で平坦にしていた)をやっていた。
その頃は、オートマの車はあまりなく、マニュアル車ばっかり乗っていた。 

(一応、私有地での事)


兄貴はラジコンカーをやっていた。 それを見ながら、「車ってこうやって動くんだ!」
などと感覚的に理解していったと思う。 アクセルターンや、スピンとか・・・


高校を卒業し、念願の免許を取りに幕張へ・・・
仮免許を4回落ち、本免許は1回で合格! 兄貴が近所に住んでいたので、
そこから幕張免許センターに通った。 そう、1発免許である。


高校を卒業後、運命の自動車専門学校へ行く。


私は、普通の車乗りだった・・・ 新車情報とか、外車とか眺め、
車は移動手段でしかなかった。 とにかく遠くに、どこでも行ける・・・それだけで良かった。


私は学校の寮に住んでいた
そこの先輩に(通称KP男)ドリフトを見せられてしまったのである。
「あっ!かっこいー」


さらに、同級のT君(神奈川県出身)は、AE86なんて車を持っていて、(当時全然知らなかった)
夜な夜な走りに付き合わされていた。


私もKP61(古い、トヨタスターレット)を手に入れ、昔やったラジコンカーのように、
クルクル回ったり、サイドブレーキを引いたり、いろいろやった。


完全に車を操ることに虜になった私は、仲間主催のサンデーレースに出る。
そこで、なかなかのタイムを出し、もっと上を狙いたいと思うようになったのである。


そんなこんなで、専門学校を卒業し、車屋へ就職。 ある時、引き取りの途中で、ナンバー無しのAE86を発見
その家に突如乗り込み、「あの車欲しいんですけど!」と言いに行ったのが運命の出会い・・・
その家は、現在レース活動の会長「三改」??の家だったのである!?


その人は、「コルススーパーバトルロイヤル」というサンデーレースに出ていて、速いらしい。
その筋(表現的に難しい)では有名人だということを後で聞き、凄い事したな、とか思ってた。

(仲間で製作した耐久レース用マシン 今だ現役です)


私も、そのレースに出場した。  結果は・・・・あまり・・・・ だが、レースをしているのが非常に楽しく、
いろんなマシンといろんな人に出会い、それだけで満足だった。


その後、三改さん?は、筑波サーキットのJAF戦に行ってしまった。
私は、「コルス」をしばらくやっていたが、ある時、三改さんのマシンを乗らないか?ということで、
即O.K.!!  私も筑波に参戦することになった。  B級ライセンスを取り、A級ライセンスを取り、
筑波の「TOPROシリーズ」というレースに参戦した。


今思えば私にはレベルが高かった? 私は基本的に欲が無い!
セッティングなどもっての外、走れば満足だった。
レースが終わり、三改さんに「マシンどうだった?」と聞かれても
「絶好調ですよ!」・・・と

AE−86レース時代・・・また乗りたい。 三改プロジェクトはいつも台数が多い。


いろいろ教わったのだが、理解ができない。
マシンの挙動を理解しようとせず、がむしゃらに走っていただけだった。
遅いのは自分のテクニックが無いだけだと思っていた。
確かにそうだが、速く走るためには、もっともっと総合的にレベルを上げることが必要だった。


3年が過ぎ、自分の家がホンダの整備工場ということもあり、EG6シビックを購入。
未知のFF車でレースをしたくなり、AE86は若手にスイッチした。


車の製作は、知り合いのショップに「レースに出れるだけの最低限で・・・」
という注文を出し、とりあえず作ってもらった。
なんだかんだで結構出費がかさんだが、それで筑波へまた出場!


ところが、先行き見ずに出場したため、レースの出場台数は常に2,3台・・・
ちょっとつまらないので、他にEG6でレースやってるとこは・・・


「ツインリンクもてぎサーキット」

もてぎチャンピオンカップレースシリーズ

もてぎチャンピオンカップ初参戦の様子

そして、2000年はEG−6シビックで頑張っていたのですが、車両の限界が『低そう・・・』
という感覚的な思いつきで、EG−6を手放し、2001年へ向けてEK−4(ミラクルシビック)を購入。

カラーリングを外し、まっさらな状態での練習走行 ブレーキパッドのスポンサーを受け、カラーリング完成!!


車両の準備が間に合わなかったので、2001年のシリーズ 第1戦目を逃し、最終的に悔やんだシリーズ2位だったが
またまた急成長してしまった私は、お金も無いのにシビックEK−9(TYPE-R)を購入してしまい
2002年「ホンダワンメイクレース・エントリーシリーズ」(もてぎエリア)に出場する事になりました。

本当はシビック東日本シリーズに・・・
と思っていたのに、なんとインテグラになってしまったので、もう新規車両にお金かけられる訳も無く
初スリックレースに胸を膨らませながら、またまた「もてぎシリーズ」となった訳です。

2002年 EK-9シビックにスイッチしたものの、スリックタイヤより、マシンに慣れず、四苦八苦のレースが続き
結局クラッシュをキッカケにマシンを再起させ、なんとか最終戦は優勝出来ました。
しかし、再起させた条件として、マシンを売らなければならず、翌年からのシリーズ参戦は
不可能となってしまいました。


最終戦のみのマシン

このレース後、借金返済の為売却(T_T)



その間、同じ「もてチャン」のライバル同士からのお誘いを受け
「もてぎEnjoy耐久レース」への参戦が決定しました!(^^)!

「耐久レース」なんて興味がありませんでしたが、結局あんなにハマってしまうとは・・・
内容は参戦記にUP予定ですので、ご覧下さい。

2003〜2005年の3年の時限措置で結果を出すという心持ちで挑み
一応結果を出す事が出来ました。


この後、暖めておいたマシンが、晴れて2006年登場することになります。
車両は「EG-6シビック」です。
型は古いが、勝算は適当に計算済みです。

ご期待下さい。


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